芸術家外伝

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カラヴァッジオの光

バロックという時代が前時代(盛期ルネサンスやマニエリスム)と決別を表し、最初に新時代の幕を開いたのはアンニーバレ・カルラッチとされている。

[画像 / ファルネーゼ宮殿の天井画]

ファルネーゼ宮殿の天井画』に見られるように、人物表現の豊かさや構図などにおける動的なアクセントなどにはバロック様式の端緒が認められる。しかし、その趣向はルネサンスの巨匠ミケランジェロ・ブォナローティの『システィーナ礼拝堂天井画』の形式に由来しているところが完全な逸脱とは言い難い。

[画像 / システィーナ礼拝堂天井画]

バロックの礎なるべき新機軸を築き上げたのはローマで活動したミケランジェロ・メリジ・ダ・カラヴァッジオである。彼の作品の大きな特徴は、写実的な描写と強烈なまでの明暗表現とされる。その彼の様式はローマやナポリに『カラヴァジェスキ』と呼ばれる多くの追随者を生み、さらに17世紀の西欧絵画全体に深い影響を及ぼした。

[画像 / 聖マタイの召し出し]

さらに言及すると彼の明暗表現には確たる裏付けが存在している。例えば『聖マタイの召し出し』では一見風俗画のようだが、一条の光が闇を貫いてキリストとマタイを結びつけ、収税吏マタイの改心が暗示されている。さらにミケランジェロの『アダムの創造』から借用されたキリストの手のポーズが『召し出し』という主題を際立たせているのである。

[画像 / アダムの創造]

光にこだわった芸術家は数多く存在している。絵画だけではなく建築にも光は重要な要素とされている。しかし、それは作品の中の要素であり、あくまでも光に意識を傾けることは無い。だが、カラヴァッジオという芸術家の作品だけはそうではない。あくまでも光なのである。光があってこその世界という現実を追求し、至上の写実把握を得た彼は、永遠に越えることのできない光の壁を創ったのである。それがカラヴァッジオの光なのである。

バロックと呼ばれた男

芸術は一般的に絵画のみに依存する傾向にあるが、彫刻と建築も芸術を語る上で外すことのできない分野である。現代に措いては垣根という垣根が取り払われ、主義ではなく各個とした芸術としての分岐を見せるが、それはまだ数世紀先なのでそれまでは絵画、、彫刻、建築の3分野を中心に話しを進めることにする。

17世紀を代表する彫刻家といえばジャン・ロレンツォ・ベルニーニをおいて他にはいない。イタリアを拠点として活動するが、その影響力は西欧全体に広がっている。

[画像 / 聖テレサの法悦]

彼のその技巧は瞬間的な表情・動作や対象の材質感を大理石で表現するという驚くべきものである。『聖テレサの法悦』では彫刻と建築を組み合わせることによって現実の光を巧みに取り入れている。神の愛を象徴する矢に貫かれ法悦に陥った聖女の姿が、天使とともに宙に浮かび、天井からの光を浴びているという情景。それを左右の壁面にあるこの礼拝堂の所有者一族の肖像彫刻(残念ながらこの写真では見えない)と観者がその神秘的体験を見守っているのである。つまり観者をも作品の一部とする虚構の世界を構築しているのである。

[画像 / サン・ピエトロ大聖堂前の列柱廊]

ベルニーニは建築家としてもローマの景観を新たに形づくっている。その代表作の一つにあまりも有名すぎる『サン・ピエトロ大聖堂前の列柱廊』がある。ミケランジェロが晩年主力を注いだものの遂に未完に終わった大聖堂は17世紀初頭に完成され、列柱廊は1世紀半にわたる建築工事を締めくくるものであった。

しかしバロック建築を代表するのはベルニーニの弟子でありライバルであったフランチェスコ・ボロミーニである。彼の建築は独創性において比類が無い。18世紀の古典主義者がバロックと形容したのはまさしくボロミーニの様式であった。

[画像 / サン・カルロ聖堂]

サン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ聖堂』の正面を見てもらいたい。円柱などの構成要素こそ伝統に由来するものだが、それらの扱いはまったく独特で、壁面に波打つようなカーブが与えられており、まるで巨大な圧力によって歪んでいるような緊張が感じられる。

[画像 / サン・カルロ聖堂天井部]

そんな大胆な構想は内部にも首尾一貫しており、内部空間は張り詰めた雰囲気に満たされている。注目すべき天井部の複雑な凹凸による模様は当に比類無きと言われる所以だろう。一般的なバロックの聖堂では絵画や彫刻による装飾が盛んに施されたが、ボロミーニの建築はそれらを最小限に抑えることによって、特異な壁面後世の効果を高めているのである。

バロックと呼ばれた男の所以たるべきは、それまでの規範からの逸脱というだけではなく同じ時代の作品からすらも逸脱しているところなのかもしれない。

孤高

狭義のバロック美術は建築ではボロミーニ、彫刻ではベルニーニに代表されるが、絵画の代表者はフランドル(南ネーデルランド)のペーテル・パウル・リュベンスである。彼は17世紀初頭、10年近くイタリアに滞在し、古代と盛期ルネサンスの美術を学ぶ傍ら、活躍中のカルラッチやカラヴァッジオの影響を受け、共に新様式の確立に努めた。ネーデルランドの画家たちの多くはイタリア美術の模倣の留まっていたが、リュベンスはイタリア美術の本質を体得した上で、これをネーデルランドの鋭い現実感覚と結びつけ、壮麗で活力に満ちた独自の様式を完成させる。

[画像 / キリスト昇架]

帰国直後の『キリスト昇架』では、ミケランジェロを想起させる力強い人体表現とカラヴァッジオ風の明暗法、さらに十字架を立てる行為を進行形で捉えた着想が、大画面に劇的迫力を漲らせている。後に各国の宮廷の建築装飾絵画も担当するようになり国際的に活躍していくことになるが、その奔放な想像力、輝かしい色彩、柔らかい筆触を生かした巧みな質感表現によって、豊かな生気を与える独自の様式が確立されている。

オランダ絵画を語る上で少しその独自の文化について説明しなければならない。中世から19世紀初頭まで、美術の最大のパトロンはカトリック教会と王侯貴族であり、宗教画や神話画が中心的な画種で、注文制作が普通だった。ところが、オランダでは早くも17世紀には市民層が主な買い手となり、分かり易く親しみやすい作品を求めて、風景画、風俗画、静物画の独立・発展を促す。こうして生まれた近代美術市場ての熾烈な競争に勝ち残る為に、画家たちは自らの専門を定め、特定の主題を熟練した技巧で繰り返し描くことになったのであった。

[画像 / 夜警]

17世紀オランダ最大の画家はアムステルダムで活躍したレンブラント・ファン・レインであり、ご存知の方も多いと思われる。しかし、彼は偉大な例外でもあり、静物画を除くあらゆる画種を手掛けている。しかし市民社会が彼に求めたのは肖像画である。『夜警』も市民自警団から注文されたものだが、彼は当時のオランダで公的性格の大画面を制作しうるほとんど唯一のこの機会を利用して、肖像画を構想画に変貌させた。集団肖像画では人物は整然と列をなして描かれるのが普通だが、この絵の人物はこれから隊列を組んで画中空間から歩み出ようとするかのように演出されている。強い明暗表現はカラヴァッジオの間接的影響が認められるが、微妙な表情の的確な把握は独自のものである。ちなみにレンブラントは自画像を多く描いたことでも有名なのでその中の一つを挙げておく。

[画像 / 自画像]

このバロック時代に一人稀有な画家がいる。守備範囲としてはレンブラントに次いで広く、さらに独自の様式を確立しているという点ではこの時代において比類いのだが、寡作(約35点)のためか死後まもなく忘れられていたが、19世紀後半、その「近代性」が注目を集め、17世紀最大の画家のうちに数えられるようになったヨハネス・フェルメールである。

[画像 / 真珠の耳飾の少女]

最近個展も開かれ『真珠の耳飾の少女』等のポスターも作成されていたので、その作品を目にした方も多いをと思われる。その静的な作風、画面を浸す落ち着いた光の中で、あたかも静物のように捉えられ、日常性格の瑣末性を超えた存在となっている。光の反射を効果的に表す為に、彼は白い点を並べてハイライトとする独自の技法を工夫した。

[画像 / 牛乳を注ぐ女]

作風として最も多く作品の残っている風俗画では、上品な家庭の静かな室内に一人または少数の人物(主に女性)が表されていて、『牛乳を注ぐ女』の壺の牛乳を鉢に注いだりといったふうな日常的行為に携わっている場面が描がかれている。

他にも各国で現実観察に基づいた風景画というスタイルが確立してきたのもこの時代である。オランダの風景画は特に現実的で、何の変哲もない自国の自然や都市の眺めを取り上げたりしながらも、構図の工夫と光や空気の印象の的確な把握によって、ありふれた風景から風景画の傑作を生み出した。そして後の時代にも大きな影響を及ぼすことになった。

[画像 / ユダヤ人墓地]

ヤーコプ・ファン・ロイスダールの『ユダヤ人墓地』は想像力でも作られているが、「世の虚しさ」の寓意を示すこの廃墟の風景では、劇的性格からより現実的なものとなっている。

これらのように、同じ時代で同じ影響を受けながらも、文化が違うとこうまでも差がでている。バロック絵画の代表者を生んだフランドルも文化の変化が無い為にリュベンス以外では自己を主張できたものはほとんどいなかった。このような傾向は芸術の分野以外にも顕著にあらわれており、自らの居場所というものが非常に重要な要素であることが伺える。