芸術家外伝

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Romanticism

ロマン主義の完成者

テオドル・ジェリコーは帝政末期に大陸軍の兵士や馬を描くことで画家として出発し、1816年に起きたフリゲート艦メデュース号の政府にの責任による難破事件という時事的なテーマを大作に描き上げて議論を呼んだ。『メデューズ号の筏

[画像 / メデューズ号の筏]

このほか彼は短い生涯のに狂人や人体の断片などの非古典主義的なテーマを開拓し、激しいタッチによる運動感の表現によってロマン主義絵画の最初のマニフェストを行った。

ジェリコーの作品が新時代の美意識のマニフェストとすれば、ウジェーヌ・ドラクロワはその完成者であった。

[画像 / ダンテの小舟] [画像 / キオス島の虐殺] [画像 / サルダナパールの死]

彼はデビュー作『ダンテの小舟』で強い明暗と大胆な動感表現によって話題を呼び、『キオス島の虐殺』で古典的な肉付け方を棄て、『サルダナパールの死』で対角線構図にまとめられた東洋的主題、輝くような色彩、粗いタッチによる動感表現という完璧に反古典主義的な、つまりロマン主義的な作風を示した。

晩年彼の更に磨きをかけた色彩表現はそれ自体が自立した表現力を獲得しており、近代絵画の成立に彼が果たした役割の大きさを物語っている。

[画像 / 民衆を導く自由の女神]

最後に恐らく日本で最も有名な彼の作品である『民衆を導く自由の女神』を紹介しよう。Dragon Ash もアルバムのジャケットに使用していたこれは、周知のとおり七月革命を題材にした作品であり、自由というものを強く寓意した作品でそれは当時勢力の強かった新古典主義に向けられてものである。しかしドラクロワの作品は、こういった社会的なものよりも、神話画、宗教画の方が目を見張る作品が多い。それは今まで古典主義によって築かれてきた優美で精緻な絵画様式とまったく異なる表現のため、同じ宗教画であればその差が顕著に出て非常に面白い。

それは様式の対立などを意識しなくてもよい現在だからこそできることであり、時代背景などを考慮しないからこそ出来る見方でもある。時代というものは非常に重く、堅固であり、そして忘れてはならないものであるが、そればかりに囚われていては見えてこないもの芸術なのである。

幻視者

19世紀前半のイギリス絵画は風景画の黄金期と呼ばれている。それを築き上げたのはジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーとジョン・コンスタブルの二人であるが、この節ではターナーのみに注目したい。

[画像 / モートレイクの公園]

彼は18世紀に流行した特定の場所の景観を表した地誌的水彩画を描くことから出発して、おびただしい数の油彩や水彩や素描を残した。彼の描いた対象は『モートレイクの公園』のようなスコットランドの湖水地方からアルプスの峡谷、水蒸気に煙るヴェネツィアからローマの古代遺跡のある景観まで多様である。

[画像 / カルタゴを建設するディド]

またテーマの点でも彼は風景を神話や歴史の舞台として描く歴史的風景画と呼ばれる分野の作品『カルタゴを建設するディド』や、ロンドン近郊の親しみ深い風景まであらゆる種類の風景画を描いた。そうした多彩な活動の基本にあったのは光の表現に対する飽くことのない情熱である。

[画像 / 霧の中をさしのぼる太陽:魚を洗い、売っている漁師] [画像 / 海上の漁師] [画像 / 雨, 蒸気, 速力−グレード・ウェスタン鉄道]

彼は夕べの光、朝の光『霧の中をさしのぼる太陽:魚を洗い、売っている漁師』、月光の光、嵐の最中に射す一条の日の光『海上の漁師』、海上の船の灯火の光、火災の火の光、蒸気機関車の石炭の燃える光『雨, 蒸気, 速力−グレード・ウェスタン鉄道』などのあらゆる種類の光に魅せられ、生涯にわたってそれらの風景の中に描き続けた。

しばしば闇と対比的に描かれる光は、正確な観察に基づいきながらも一種の幻想的な雰囲気を生み、特に晩年の彼の作品においてはターナーの幻視者としての資質を示している。

もう聞き飽きたと思うが、これらも印象主義に大きな影響を与えたのである。

巨人

フランスのダヴィッドとほぼ同年代を生きたフランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスは世紀の転換期のスペイン美術をほとんど一人で代表する巨人であった。

[画像 / カルロスW世とその家族]

イタリア留学のあとの王室のタピスリ工場の下絵描きの職について、風俗的なテーマをロココ風の華やかな色彩と軽妙なタッチで描いたカルトン(原寸大下絵)を多数制作した。1780年代末には「王の画家」、1799年には主席宮廷画家の地位につき、強力なパトロンにも恵まれていたゴヤであったが、その芸術の本質を決定したのは宮廷芸術家としての華やかなキャリアではなく、1792年末の病気で全聾になったこととナポレオン軍による祖国の蹂躙を体験したことであった。

[画像 / 着衣のマハ] [画像 / 裸のマハ]

フランス革命勃発の頃啓蒙思想に関心を抱いたゴヤは、革命が引き起こした戦争という現実に裏切られ、全聾の悲劇に見舞われて、1799年に人間性の愚かさと虚偽を呵責なく暴いた『きまぐれ(ロス・カプリチョス)』と題する版画集を出版した。同じころ宮廷画家としては卓越した描写力を感じさせる『カルロスW世とその家族』などの肖像画、2点の『マハ』(伊達女の意)像を描いている。

[画像 / 巨人]

ナポレオンのスペイン支配の時代にゴヤは戦争の壊滅的な力を暗示した『巨人』やフランス軍に素手で立ち向かった民衆の処刑を描いた『1808年5月3日』を制作している。

[画像 / 1808年5月3日]

戦争や侵略への憎悪は版画集『戦争の惨禍』を生んだ。公的な生活から退いた最晩年に暮らしていた家の壁に描いたいわゆる『黒い絵』の連作は、ゴヤが生涯にわたって体験した個人的社会的な悲惨を脅迫的な映像で表現した特異な作品である。

[画像 / サタン] [画像 / 老人]

ゴヤは主観的な情熱を作品に託した点ではロマン主義美術の先駆者であり、おのれの人生の課題を制作に直接に反映させた点では芸術の近代的なありかたを示した最初の芸術家の一人といえるであろう。