Rococo
遠い時代への架け橋
ロココ美術は新古典主義の時代でその放縦で享楽主義的な内容と感覚的な様式なために批判されている。工芸においては黄金期とされるが、貴族をパトロンとする従来の形式に変化がないためか風潮が一律の流れに統一されているために形容詞はどれも同じである。それは絵画においても例外ではなくどれも類似しているため正直面白みに欠けるのは否めない。しかし、軽妙な感覚性を好むこの時代の美意識は、絵画という分野が最も適合しておりロココを象徴している。
ロココ絵画はヴァトーから始まる。37歳という若さで肺病のため亡くなっているこの夭折の画家は、パリに出てモード、風俗、芝居などをテーマとする版画の下絵や絵画制作を経ながら、リュベンスの連作『マリ・ド・メディシスの生涯』を模写研究している。
こうした経歴によってヴァトー的特質が養われて大作『シテール島の巡礼』でその才を認められることになる。愛の女神シテールの島で一時を過ごした恋人たちの船出を描いた幻想的な作品で、ロココ絵画の基調を決定した。この絵の別名「雅びな宴(フェート・ギャラント)」は、戸外での男女の恋の戯れを表したロココ時代に流行した画題の一般的な呼称になった。
フランソワ・ブーシェもまたヴァトーの影響から出発したが、ヴァトーの華やかさでありながら哀愁を帯びた作風は、『ディアナの水浴』などに見られるようにブーシェにおいては陽気な官能性にかわっている。彼はヴァトーの内省的な傾向に始まったこの時代の絵画にヨーロッパ美術本来の肉体的存在としての人間表現を重んずる傾向をとり戻した。
ここに早くもロマン主義を予告している画家がいる。ブーシェの愛弟子であるジャン・オノレ・フラゴナールである。彼のタッチは紛れもなくロココの正統的伝承者であったが、広大な空間や悲劇的感情に対する彼の感覚の鋭さは、『閂(かんぬき)』などを見る限りその差は歴然である。
そうした傾向はブーシェと同世代のジャン=バティスト・シオメン・シャルダンの中産階級の家庭の一隅を描いた静物画『えい』や市井の人々に何気ない仕種を捉えた人物画にはっきりと現れている。その迫真的に表現された事物や静謐な光に満たされた端正な構図は、19世紀のフランス絵画がたどることになる方向を暗示している。
このようにロココという時代の絵画は定められた基調のために個性を欠くものが多いが、そのなかで、隙間から見せる研ぎ澄まされた各々の資質は、時代を超越したものであった。それは奇しくも遠い時代への架け橋のようでもある。